パンテオンローマのフォロ・ロマーノからやや離れたところにパンテオンという建物があります。プラネタリウムの様な丸いドームです。 私は最初パンテオンの意味が分らず、スポーツセンターのことだと思っていました。子供の頃そういう名のテニスコートがあったのです。 「万神殿」とでも訳すのでしょうか。全ての神を祭る神殿です。 ローマの神様は、ジュピターを初めとして大勢います。それが美女の捕りあいをしたり、人間をえこひいきしたり、結構人間的に生活しています。 日本には「国魂神社」や「総社」があります。 国司は派遣された国の神様を祭り、そのご機嫌を伺うのも仕事だったのですね。 国中の神社を巡るのが大変なので、神様を一箇所に集めたのが「総社」や「国魂神社」です。 パンテオンとは総社のことだったのですね。 このローマの「総社」を作ったのは、アグリッパという将軍でした。 かれは初代ローマ皇帝だったオクタビアヌスの右腕でした。彼の子孫には有名な皇帝ネロがいます。 オクタビアヌスは、ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の甥です。 カエサルが暗殺されたとき、オクタビアヌスは未だ18歳でしたが、遺言で後継者に指名されていました。 カエサルはオクタビアヌスの政治的才能を見抜いていたのでした。 オクタビアヌスは体が弱く、戦争が下手でした。 それをも見抜いていたカエサルは、軍事的な補佐役としてアグリッパを指名していたのです。 カエサルは「人は自分の見たいと思うものだけを見る」という名言を吐きました。 多くの人は、自分に不利なこと・見たくないものを見ないので失敗するのだと喝破したのです。 カエサルは、オクタビアヌスには自分の見たくないものでもしっかりと見る才能があると思ったのです。 オクタビアヌスとアグリッパはこのような親密な関係ですから、パンテオンの建設には、ローマ皇帝の意思が反映されています。 オクタビアヌスにはたくさんの名称があります。 インペラトール・プリンチェプス・アウグストス・カエサル・オクタビアヌスです。 インペラトールとは凱旋将軍という意味の称号です。 敵を打ち破った将軍に元老院が与える称号です。これが英語になって皇帝という意味になりました(エンペラー)。 プリンチェプスとは第一人者という意味です。ローマ人の第一人者です。この称号も元老院から授けられました。 アウグストスとは、「神聖なる者」という意味です。 ローマ人は多神教で、偉い人は神になるという考えがあったらしいのです。 東照大権現や豊国稲荷と同じですね。この称号も元老院から授けられました。 カエサルとは叔父であるユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の苗字です。カエサルの養子になってこの苗字を名乗ったのです。 オクタビアヌス以後、代々のローマ皇帝はカエサルと血縁関係にない者もカエサルを名乗りました。 ドイツ語のカイゼルやロシア語のツアーはこの言葉のなまったもので皇帝を意味します。 オクタビアヌスが元々の彼の名前です。 上記の名称には、後世がイメージする「皇帝」という要素はありません。 元老院という議会から、将軍や第一人者、更には「尊」の称号を貰っただけです。 彼の権力は、議会の信任やローマ人の人気に基づくもので、血統という伝統的権威はありません。 この辺の事情はオクタビアヌスの後継者である皇帝にも当てはまります。 彼らは自分の地位を保つために、コロセウムで見世物を催したり、貧民に無料でパンを配ったりしています。 いくら人気取りをしても、ローマ人たちに「皇帝失格」と判断されれば、暗殺されました。 ネロ、カラカラなど皆そうです。 ローマの「皇帝」というのは、終身の大統領というのが実態ですね。 アグリッパの建てた「総社」もオクタビアヌスの人気取りの為でした。 ローマの神々を祭ることによって、オクタビアヌスが伝統の宗教を守る良い人間であることを宣伝したのです。 実はこの「総社」には、日本の神々も祭られています。 この「総社」にはローマやギリシャの神々だけでなく、「未だ知られていない神々」も祭っていたからです。 ローマ人は自分達の神々と他民族の神々を差別せず、同じように祭りました。 ローマの神々には「縁結びの神」とか「航海の神」があります。 さらには特定の地域を守る神もいます。「産土神」ですね。 日本の神々は、もともとはその土地の偉い人とか山や川といった自然を祭っていました。 天皇家と関係付けられたのは、後に日本書紀などで神社の縁起が捏造されてから後です。 全く日本の神とローマの神は同じなのです。 日本と同じような神々を奉じてローマ人は大帝国を築き上げたのですから、日本人も自分達の宗教的態度を特殊なものだと考える必要はないと思います。 キリスト教を信奉する今のヨーロッパ諸国やアメリカからすれば、古代ローマは異教徒の国でなんら尊敬すべきものではないはずです。 ところが実際は今でもローマを模範としており、イギリスやフランスはローマの植民地にされたことを誇りにしているのです。 第二次世界大戦中、イギリスのチャーチルはドイツを馬鹿にするときは、「ローマ人が征服してくれなかった野蛮国」と言っていました。 しかし古代ローマと日本で違うところもあります。 それは、「法律」です。 ローマは、その版図に様々な宗教や習慣を持つ民族を多数抱えていました。 さまざまな価値観を持つ利害関係者を公正に扱うために法律を用いたのです。 ローマ人も当事者の納得を重視しました。これも日本人と同じです。 しかし、相手の同意を得るために法律の適用を甘くすることはしませんでした。 法律の適用を手加減した途端に相手がつけあがるからです。 ローマはその法律の適用が厳格なので有名でした。 法律を守るために、あえて非情になるように努力したようです。 細かいことは思い出せませんが、ローマの最盛期に起こった有名な事件のことです。 当時のローマには、「主人の自宅にいてその危機を見過ごした奴隷は死刑にする」という法律があったのです。 金持ちの元老院議員が自宅で自分の奴隷に殺害されました。 そのとき殺された元老院議員の家には約800人の奴隷がいたのです。 法律に従えばその800人の奴隷全員を死刑にしなければなりません。 この事件でローマ中が大騒ぎになりました。 「800人の奴隷の大部分は、そんな事件が起こったことも知らなかったのだから、この法律を適用して死刑にするのは正義に反する」 と多くの人は感じました。 しかしその法律は「家の中にいた奴隷は」という条件であって、「その事件を知っていた奴隷は」という条件にはなっていなかったのです。 奴隷を助けるために法律を改正しようという動きもありました。 しかしそれは「事後法の制定」という、やってはならないことです。 法律の権威を損なうからです。 結局800人の奴隷は全員が死刑になりました。そしてその直後、その法律そのものが廃止されました。 奴隷は家畜と同じだといっても、牛や馬と人間は違うという認識は古代のローマ人も持っていました。 当時のローマは多くの同盟国と軍事同盟を結んでおり、同盟国はローマが約束を守ることを信じて疑わなかったのです。 ライン河やドナウ川の南側の同盟国は、ローマの約束を信じてゲルマン人と戦い自分達の国土と同盟国であるローマを守っていたのです。 国と国との条約と国内の治安を維持するための刑法とは、全然違う目的の法律ですが、法律を自ら破るということの意味は同じです。 法律を破って800人の奴隷の命を助けたら、そのローマ人の弛緩した態度が周辺諸国に伝わり、ローマを信用しなくなる可能性があったのです。 そうなるとやがては同盟国は、ローマとの条約を破棄してゲルマン人と同盟を結びローマに攻め込む危険性もあったのです。 ローマ人の危惧は、今の日本人は信じられないかもしれません。 しかし多くのヨーロッパ人やアメリカ人は、ローマ人のルールに対するこの感覚がローマを強大にしたと信じています。 ローマ軍は、その軍規が厳しいのでも有名でした。 部隊全体が軍規に違反した場合は、司令官はその部隊に「十分の一の死刑」という刑罰を課すこともできたのです。 抽選で十分の一の数の兵隊を選び死刑にするのです。 私には理不尽な刑罰だと思われますが、ローマ人はこれぐらいルールを守ることが大切だと考えていたのですね。 この結果ローマ軍はいかなる状況でも組織を維持することが出来、3倍の敵軍を簡単に打ち破ることができたのです。 ローマ軍の兵士というのは、ローマの中核を担う連中であって、決して傭兵や生活のために兵士になったというような者達ではありませんでした。 ローマは、市民を財産によって6階級に分けました。 第一階級 10万アッセ以上 98票 第二階級 10万 ~ 7.5万 20 第三階級 7.5万 ~ 5万 20 第四階級 5万 ~ 2.5万 20 第五階級 2.5万 ~ 1.25万 30 無産階級 5 合計 193 アッセというのは銅325グラムです。現在の銅地金は300~400円/Kgですから、1アッセは100円ぐらいです。 しかし当時の熟練工の日当が12アッセですから、1アッセは二千円の価値がありました。 10万アッセの財産とは2億円です。これが10%の利潤を生めば、年収が2000万円になります(当時の金利は10%です)。 当時は所得税がありませんから、手取りが2000万円ということです。 票とは選挙権のことです。一人が一票を持つのではなく、百人隊が一票を持つのです。 第一階級は98のグループに分かれ、戦争の時は各グループが抽選で100人の兵士を選ぶのです。 選挙の時は各グループで議題を討議し、グループとしての結論を出し全体の選挙に臨むわけです ローマの兵士は武器が自弁です。ローマ軍の中核である重装歩兵は、第一と第二階級が担当します。 映画でおなじみの銀のヘルメットとよろいを装備し、手にはたてとやりを持っている姿です。 以下順次装備が貧弱になり、第五階級は「石投げ兵」です。おそらく彼らは、武器・食糧の輸送や道路・橋建設の建設を担当したのではないでしょうか? 無産階級をラテン語でプロレタリーと言い、子供の数が多くて財産が無い者達を指します。 表を見ると彼らも五百人の兵士を出す義務がありますが、実際に召集されたことは無かったようです。 ローマ人の軍隊に対する考え方は、一家の中心である元気な男が兵士として留守になり、場合によっては戦死しても家族が困らない財産家を兵士にしようとすることです。 そして国に対する防衛の義務を果たした者が、国政に対する参政権を持つべきだと考えています。 したがって、票数と人口は比例していません。 実際には第三階級以下の人口のほうが多かったと思います。 重装歩兵たちは、家族のほかに何人かの奴隷を持ち、平和な時は仕事の余暇には運動場で体育競技に興じていたのです。 豊かな収入があり、戦場で戦ってきたローマ人の中核の男達は、組織を生き生きと活動させるためには、ルールの厳守が必要だと考えたのです。 そして戦いに勝つためには、必要なら自分達の十分の一を死刑にしてでも軍規を守らなければならないと考えていたのです。 これが、宗教による規律とは無関係だったローマ人のたどり着いた結論でした。 翻って日本を考えてみると、私は日本人の弱点は、相手の同意を求めるあまり、相手に迎合して自分達のルールまで無視してしまうことだと思っています。 以前日本の会社と契約を結び取引をしていたときのことでした。 アメリカ側が明らかに契約違反をしているのに、それを日本側が指摘しないのです。双方の良好な関係にヒビが入ることを恐れたからです。 その結果、アメリカの会社は同じ契約違反を繰り返すようになり、最終的に日本側も堪忍袋の緒を切らして、喧嘩別れしました。 法律とかルールというのは、将来起きる可能性のある紛争を妥当に解決するために、あらかじめ決めておくものです。 従って法律やルールを作る際には、様々な場合を想定してそれぞれの場合の解決策を決めておくべきものです。 そして予想された事態がおきれば断固としてそれを実施しなければ、以後法律やルールは守られなくなってしまいます。 日本人は、契約を締結する時細かいことを決めず、問題が起こった時は「双方誠実に協議すること」という条項を入れて済ましています。 この条項は法律的には何の意味もありません。 そもそも紛争がおきたときは、お互いの信頼関係が壊れているわけですから、相手が「誠実に対応」するわけがありません。 日本人が「相手との話し合いで問題を解決する」というやり方を日本人同士だけでなく、外国人にも適用すれば今後も負け続けるだろうと思います。 逆に日本人が自分達のルールを断固として守る気になれば、素晴らしい国になるだろうと思っています。 ジャンル別一覧
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